札幌ラーメンの歴史 その2

元祖ラーメン横丁の誕生 

ラーメン横丁

1971年(昭和46年)開業の「元祖ラーメン横丁」には公楽ラーメン名店街時の店に加え倍以上の16店が入った。西側の10店は南から「華龍」「来々軒」「ひぐま」「めんたんぴん」「萬来軒」「おぢぢ」「石狩」「満龍」「ユーカラ」「正桜閣」。東側の6店は南から「横丁のとらさん」「とみや」「龍王」「天鳳」「源八郎」。1978年(昭和53年)にはすすきの交番東側のビル半地下に「新ラーメン横丁」ができ、現在は「もぐら」「つばさ」「赤レンガラーメン」「いそちゃん」が営業している。

 

みそラーメンの誕生

「札幌と言えば、みそラーメン」。

ラーメン横丁に訪れて味噌ラーメンを食べるのは札幌観光の王道。

しかも昨今は札幌みそラーメンがブームになっている。その「みそラーメン」の創始者は、「味の三平」の先代、故・大宮守人氏だ。

みそラーメン誕生のヒントは1950年(昭和30年)秋頃、サッチョン族(札幌チョンガー。単身赴任者を意味する)や二日酔いの常連客にふるまった豚汁にラーメンの麺を入れたことが俗説だが、実際はもう少し戦略的である。

大宮氏は、雑誌「Reader’s Digest(リーダーズダイジェスト)」で、世界最大スイスのスープメーカー、マギー社の社長が「日本人はミソの効用を忘れてはいないか?」と指摘した一文を読んでから、メニュー化に取り組んだ。実現するまで7~8年の歳月が費やされることとなる。そして完成したみそラーメンを全国紙「暮らしの手帖」編集者 花森安治氏 が初めて食し、「札幌のラーメン」というタイトルで紹介。大宮氏によるレシピを掲載した。このようにして「さっぽろラーメン」という呼称を作られたのだ。

暮らしの手帖 記事

札幌のラーメン

「札幌のラーメンは、そう歴史の古いものではない。およそは戦後引揚げてきた人たちが、生きるために、はじめた、素人の仕事である。ほとんどが、屋台であった。そのなかから、うまい店だけが生き残った。残ったのは、すこしは店らしくなった。年期を入れたわけでもなく、一子相伝のむつかしい秘伝をふりまわすわけでもない。いってみれば、おぼつかない素人の包丁の筈でありながら、しかも、たべて、これくらいうまいラーメンは、よそにはない。ふしぎである。

札幌のラーメン屋は、申し合わせたように、大きな赤い長提灯を、ラーメンと白く筆太に抜いて軒先に下げている。雪の深い夜、誰かが、入口をあけると、ぼうとあたたかい湯気が、大きく外に動いて、その赤提灯をつつむ。ついそそられて、いましまった戸に、手をかけてしまうのである。

いちど作ってごらんなさい。どういう味か、およその見当はおつきになる筈だし、病みつきになる人もある筈である」

暮らしの手帖

(暮らしの手帖 1世紀 第32号 P59~61 昭和30年12月5日発行)

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片山3丁目の飛騨ラーメン

40代ライター。
20年間の全国転勤と趣味のマラソン遠征で心身満足する美味い料理を探求。

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